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東北の空に吹く風 2
私共のツアーがお邪魔した先は、仙台に隣接した工業地帯の多賀城市。
わざわざ市の防災課の方々がアテンドして下さった震災復興プログラムは、まだまだ手探りではありますが、資料も説明も全て手作りです。
この経験は絶対に風化させないという決意の下、色々と模索した中での広報プログラムは、当時の市内を撮影したDVDや写真なども使った説明と、実際にその中に登場した場所の見学という内容でした。

しかし、市内の至る所、まだまだ津波の跡がひどく残ります。
大幅に冠水した道路こそ元に戻ってはいるけれども、賑わった繁華街の店舗は、全壊した建物を取り壊すことすら出来ない状態。復旧させたくとも資材不足や職人不足で、どうしようにもない有様。
溜息をついて小脇の小さな川に目を逸らすと、いかにも普通に民家が建っているように見えるのですが、実はその場所が橋桁の上。
あり得ない場所に土台ごと流された家を撤去させるには、500万もの高額なお金を必要とし、そうしたくともできずにそのままになっているとか。
ライフラインが完全に復旧しない交差点では警官が手信号で車を誘導し、かつては家族連れで賑わった郊外のスーパーは、やっと2階で仮営業。
あれほどの津波を考えれば、5ヶ月あまりでよくぞここまで復旧復興させたと思うべきなのでしょう。
しかし、片付けることすら出来ない状態での復興はあり得ない。辛い現実は確かにありました。
市の防災担当の方は言いました。
「あの地震の揺れだけを見れば、そう大きなものではなかった(多賀城は震度5強だったそう)。壊れたものを片付ければ済んだことです。ですが、その後に襲った津波の被害が甚大だったのだ」と。
林間に一輪気高く咲く
沿岸部の工業地帯は、埋め立て地特有の、起伏のない地形です。
震災当時は平日の昼下がりで、まだ大勢の方が工場に勤務しておられた時間帯でしたが、ほとんどが地震の後に高い場所、例えばビルやマンションの高層へと避難し、何とか難を逃れたようです。
つまりは、現地の皆さんは、地震と津波をセットにして考えておられた。日頃そうやって避難訓練を受けておられたからこそ、非常時にそれが生かせたとも言える。
いつくるやも分からない災害です。それにいかに真摯に取り組んだか。
経験をそのままにしておかず、後生に伝えることは、このことからも本当に大事なことなのです。
さて、神戸はいかがなものでしょう。あの時の経験を、草の根的に広く伝えようとしているだろうか?
”喉元過ぎれば熱さを忘れる”ではないですが、そろそろ気のゆるみが出てきてはいるのではないだろうか。
そう思いつつ過ごした現地視察でありました。
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